映画きの組合員が、半分趣味として書き始めたコーナーです。
         思い込みの激しい内容ですが、読んでみて下さい。

回数 作 品 名 制作年度 掲載号
第1回  恋に落ちたシェイクスピア  1999年   2000.4(No171)
第2回  男はつらいよ 拝啓車寅次郎様   1994年  2000.7(No173)
第3回  ドラえもん のび太の結婚前夜  1999年  2000.9(No174)
第4回  アメリカン・グラフィティ  1973年  2000.11(No175)
第5回  金融腐蝕列島「呪縛」  1999年  2000.12(No176) 
第6回  おじゃる丸  放送中  2001.1(No177)
第7回  グリーンマイル  1999年  2001.2(No178)
第8回  フィールド・オブ・ドリームス  1987年  2001.3(No179)
第9回   雨に唄えば  1955年  2001.6(No181)
第10回  おもいでの夏  1971年  2001.8(No183)



ACT1  恋に落ちたシェイクスピア   1999年 アメリカ・パラマウント作品
(戻る)

 例えば「小さな恋のメロディ」のトレーシー・ハイド。あるいは「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーン。彼女らはまぎれもなく銀幕のヒロインだった。最近ではメグ・ライアン。それでも「恋人たちの予感」からはかなりの年数が経過した。
 ここ数年、魅力的なヒロインがスクリーンから姿を消していたように思える。「タイタニック」だってレオ君は良かったけど、自分の命を投げ出すほどの相手に思えなかったのは私だけでしょうか?
 しかし、今回はあの頃のときめきが久しぶりに蘇った。グウィネス・パルトロウ(なんと発音しにくい名前!)久々の銀幕のヒロイン(ヒーローにもなる?)の登場である。
 虚と実を巧みに組み合わせた脚本の見事さ。シェイクスピアの恋物語と劇中劇の「ロミオとジュリエト」を一体化させた演出の華麗さ。個性的で存在感のある脇役の面々。この作品の面白さは枚挙にいとまがない。しかし、それ以上にこのヒロインの魅力は圧倒的である。そして、洪水のように溢れ出す台詞・台詞・台詞・・・。
 自由で欲しい物が容易に手に入る現代で、人々の心はどんどん閉塞した世界に籠もっていく。最近の重苦しい事件の数々はその事を物語っている。それに引き替え、この作品の主人公は自分の感情になんと正直なことか!封建社会の中で定められた運命。だからこそ、自由への憧れはより素直に表現される。この作品の清々しさは、こうした率直さにあるのではないだろうか。
 第71回アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞。日本でも「キネマ旬報」のベスト1に評論家部門と読者部門の両方で選出された。つまり、制作者と評論家と観客に受け入れられた極めて「幸福な映画」といえる。
(つ)
第71回アカデミー賞7部門受賞
 最優秀作品賞  
 最優秀主演女優賞  グウィネス・パルトロウ 
 最優秀助演女優賞  ジュディ・デンチ
 最優秀オリジナル脚本賞  
 最優秀美術賞  
 最優秀衣装デザイン賞  
 最優秀作曲賞(ミュージカル/コメディ部門)  

 ACT2  男はつらいよ 拝啓車寅次郎様    1994年 日本・松竹作品
(戻る)

 「日本映画なんて古臭くて観れない!」そう思っている人はいませんか?実は私も学生時代はその代表ともいえる「男はつらいよ」シリーズは完全に無視し続けていたものだ。しかし、今では夫婦で楽しめる数少ない映画のひとつになっている。
 全48作の中で多くのファンに支持されている作品といえば、浅丘ルリ子が売れないドサ廻りの歌手を演じた第11作「寅次郎忘れな草」、第15作「寅次郎相合い傘」、第25作「寅次郎ハイビスカスの花」の「リリー3部作」ではないだろうか。しかし、今回紹介するこの作品は第47作目、初期の作品と見比べると寅次郎も歳を取り、今見ると痛々しさすら感じる。正直言って作品的にもあまり出来がよいとは思えない。では、なぜあえて取り上げるのか・・・?それは、寅次郎が「商売人の真髄」を見せてくれるからだ。
 後期の作品で第二の主役に成長した甥の満男は、この作品では靴問屋に就職している。そんな満男に対して「どうだ仕事は楽しいか?」と尋ねる寅次郎。「仕事なんて楽しい訳ないよ」と満男。そこで寅は居間にあった鉛筆を取り出し、「お前も商売人なら俺にこの鉛筆を売ってみろ!」と挑発する。固唾を飲んで様子を見守るさくら達・・・。
 ここから先は観てのお楽しみである。ただし、結論だけ言うと、商品の機能しか語れない満男と商品を通してお客に郷愁さえも感じさせることの出来る寅次郎との差は歴然としている。そして私達に仕事とは何か、プロの商売とはどういうものかを教えてくれる。
 この頃既に寅さんは病魔に襲われており、病気の影響か声は少し擦れている。お馴染みのメンバーとの掛け合いも多少ぎこちない。それでも商売人であるなら一見の価値ある名場面である。
 渥美さんの訃報とともに、「寅次郎紅の花」をもってこのシリーズは終了となった。世間にはこの「国民的映画」の終了を惜しむ声が多数あったが、私はむしろ満足していた。なぜならば寅にとって永遠のヒロインであるリリー(15年振りの登場!)と満男にとってのヒロインである泉(後藤久美子)に見送られての大団円であったからだ。また、阪神大震災からの復興を願うラストシーンも「男はつらいよ」に相応しいものであった。
 寅さんがいなくなって日本には盆も正月も無くなってしまったように思える。このことに寂しさを感じているのは私だけではないだろう。
(つ)



ACT3  ドラえもん のび太の結婚前夜   1999年 日本・東宝作品
(戻る)

 子供の頃、藤子不二雄の漫画は大のお気に入りだった。「忍者ハットリくん」「オバケのQ太郎」「パーマン」などはTVアニメと共に今も心に残っている。淀川長治さんを始めて見たのも「怪物くん」のアニメだった。その時はなんとも変なオジサンだと思ったものだが、その後、大切な映画の先生となった。
 そういえば「フータくん」という漫画もあった。100万円を貯めるまで無銭旅行を続けるといった内容で、世間的にはマイナーだが好きな作品だった。どこかで復刻版を出版してもらえないだろうか・・・
 この題名にある「のび太」とはもちろん「ドラえもん」の登場する少年のことである。そして、結婚のお相手は当然「しずかちゃん」。この二人の結婚前日のエピソードをタイムトラベルした「のび太」と「ドラえもん」が目撃するのが全体の構成となっている。
 素敵なレディに成長した「しずか」と慌て者だが愛すべきキャラクターの「のび太」を見ているだけで楽しい。「ジャイアン」と「スネ夫」は相変わらずだがそれなりに大人になっていて頼もしい。彼らが酒を酌み交わす場面のなんと微笑ましいことか。
 そして極めつけは「しずか」と「しずかのパパ」(声は久米明!絶品です)のやり取り。「君は僕等に素晴らしい贈り物を残してくれた」で始まるこの場面は、何度見ても心に染み入る。親に対する感謝の気持ちと娘の幸せを願う親の気持ち。その双方の気持ちが相まって至福の感動を呼び起こす。そう、このとてつもなく広い宇宙の中で親と子は唯一・絶対のかけがえのない存在なのだ。
 夕焼け、飛行機、星空、タンポポ、恩師との交流。それぞれ僅かな場面だが強い印象を残してくれる。そこには少年時代のノスタルジー、大人になった自覚、そして親としての責任など様々な想いが浮かんでくる。また、エンディングの主題歌とタイトルバックにも製作者の趣味の良さが感じられる。
 たかがアニメと思わずに是非来てほしい。特に娘さんをお持ちのお父さん、必見です。(つ) 



ACT  アメリカン・グラフィティ   1973年 アメリカ・ユニバーサル作品
(戻る)





 私には5歳年上の兄がいる。小学生から中学生にかけてこの年齢差は絶対的なものがあった。当時、柔道を始めた兄の練習台にさせられ、私は成すすべもなかった。また、兄の部屋にあるレコードや雑誌から少しだけ大人の世界を垣間見たのもこの頃だ。「平凡パンチ」を盗み読みしている所を悪友に見られ、バツの悪い想いをしたこともある。そんな兄の部屋に「メンズ・クラブ」という雑誌があった。トラッド系のファッション誌で、その中で紹介されていたのがこの映画だった。 
 オープニングの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」から一気に映画の世界に引き込まれる。「サーフィン・サファリ」(ビーチ・ボーイズが新人だった!)、「ジョニー・B・グッド」、「オンリー・ユー」等々、全編を42曲(だったと思う)のオールディズナンバーが盛り上げる。紹介するのは伝説のDJ、ウルフマン・ジャック!(出演もしている)そして「煙が目にしみる」のダンスシーンは、今でも胸が締め付けられる切なさに満ちている。
 街中を車で流し、女の子をナンパ。ロックバンドを招いて体育館でのダンスパーティーなど、映画は14歳の中学生にとって憧れに満ちていた。Tシャツの上にボタンダウンというファッションスタイルや、「ベスパ」のスクーター、「シトロエン」の車、ウィスキーの「オールド・パー」などを知ったのもこの映画だ。
 舞台はアメリカの田舎町、時は1962年の晩夏、アメリカが最も輝いていた時代の「一瞬の夏」。この後、音楽シーンにはビートルズが登場し、ケネディ大統領が暗殺され、ベトナム戦争の泥沼に入っていく。しかし、この映画のスタッフ・キャストのその後は栄光に満ちている。監督のジョージ・ルーカス(これが2作目)は「スター・ウォーズ」で最も成功した映画人となった。優等生のカートを演じたリチャード・ドレイファスは「グッバイ・ガール」でアカデミー賞を受賞。生徒会長のスティーブ役のロニー・ワハード(現在はロン・ハワードと表記)は映画監督に転進し「アポロ13」などヒット作を連発している。そして最も成功したのが端役で登場したハリソン・フォードである。
 唯一残念なのは、当時の私と同世代のデビーを演じたマッケンジー・フィリップス。登場人物の全てが魅力的だったが、最も思い入れのあるのが彼女であった。「ブルージーンズ・ジャーニー」という作品以後、スクリーンから姿を消した。麻薬中毒で亡くなったという記事を映画雑誌で見たのはその数年後の事だった。−合掌。
 最も多感な時代の入口に出会ったこの映画は、当時の鮮烈な印象と共に今でも青春映画のNo1だと確信している。(つ)



ACT5  金融腐蝕列島 「呪縛」   1999年 日本・角川映画作品
(戻る)

 2000年11月20日、多くの国民が「政治の変化」に期待していた。加藤紘一の内閣不信任案賛成の行動が、新しい政治の幕開けとなるハズだった。しかし、結果は・・・。結局、彼と彼らは永田町の「呪縛」から逃れることは出来なかった。
 この映画ではバブル時代の不正融資で窮地に立った銀行が、いかにして再建していくかが描かれている。辞書によると「呪縛」とは「まじないで動けなくすること」とある。総会屋、大蔵官僚、一線を退いても大きな影響力を持つOB等々、巨大銀行の周辺に広がる私利私欲の世界。こうした一般社会とかけ離れた人々の行動が、組織を停滞させ、破綻へと導く。そして、挙げ句の果ての公的資金導入。我々の税金が一部の人間の利権のために浪費されていく。
 題名は肩苦しいし、テーマは重い。近年、こんなに取っつき難い映画はまずないと思う。しかし、一度見始めたらどんどん画面に引き込まれる。スピード感溢れる社会派エンターテインメントに仕上がっている。特に見所は株主総会の場面。株主総会をこんなに真正面から描いた日本映画がかつてあっただろうか。アメリカ映画が得意とする法廷劇とは違った面白さだ。ただし、巨大銀行の株主総会があの程度の規模なのか?と多少疑問が残る部分はあるが・・・。
 監督は原田眞人 。かつては監督より評論家としての色彩が強く、正直言って「今イチ」の作品が多かった。しかし、前作の「バウンスkoGALS」(渋谷のコギャル達の一夜を綴ったドラマ。一見キワモノ風だが青春映画の快作)から格段に評価を高めている。
 主演は役所広司。設定からして無理があるような聖人君子の役柄だが、見終わって「俺達も頑張ろう」と思わせる力量はさすがだ。「バウンス koGALS」での学生運動くずれ(?)のヤクザ役と見比べると一層面白い。仲代達也も凄い!晩年の黒澤作品でこの迫力が出せたなら・・・と悔やんでしまう程だ。そして、絶品は椎名桔平。同僚に対して尊敬と嫉妬の念を抱えながら、我が道を往くカッコ良さ。紫門ふみがファンだというのがやっと理解できた。さすが恋愛の神様、見る目が違う。
 来る21世紀、国政はこのような「呪縛」から解き放される時が来るのだろうか。もっともその為には、まず我々が変わらなければならないのだろう。(つ)



ACT6  おじゃる丸  現在放映中 日本・NHK教育テレビ
(戻る)

 1月4日、帰宅の電車内での会話。「紅白のトリはなんで北島三郎じゃなかったんだろう」「『かえろかな』じゃ締まらないからね」「そうか」「やっぱ、『祭り』じゃないと」「いやサブちゃんと言えば今は『おじゃる丸』でしょ」。ということで今回は「おじゃる丸」です。本来は映画紹介のコーナーだったのに・・・まあ、新年ということで(?)許して下さい。
 主人公の「おじゃる丸」は平安朝から現代に迷い込んだ雅なお子様。我侭で怠け者でナルシストという困った性格。しかし、見ていて“ほっと“するのは何故だろう。
 各種メディアから大人と同じ情報を受ける現代の子供達。しかし、子供には子供の時にしか体験できない貴重な時間があるハズ。そんなに早く大人にならないで・・・と思うのは私だけではないだろう。
 一方、大人は組織の中で息苦しさを感じている。時には手を抜きたいし、弱音も吐きたい。なにより人から誉められたい。けれども社会では「おじゃる丸」のお付きの「電ボ」の様に振舞わなければならない。その意味では、奈良漬けを食べて酔っ払った「電ボ」が愚痴っていた姿は、居酒屋でのサラリーマンの姿そのものだった。
 この作品の魅力は次々に登場する多彩なキャラクターにある。石集めが趣味という「カズマ」。愛妻家の「パパ」と優しい「ママ」。発明家で音楽好きのおじいちゃん「トミー」。「おじゃる丸」を追いかける子鬼トリオ「アカネ」「キスケ」「アオベイ」。その親分の「エンマ大王」。自分探しの旅を続ける「フリーターのケン」。売れない少女漫画家「ウスイサチヨ」。バレエ教師の「オトメ先生」。カズマの親友「金ちゃん」。大会社の社長「金ちゃんパパ」と家庭的な「金ちゃんママ」。謎の恐竜「ツッキー」。ブッリ子の「小町ちゃん」。パーマ屋さんの「小町パパ」「小町ママ」。満願神社の狛犬「おこりん坊」「にこりん坊」。満願神社に住み着いた貧乏神の「貧ちゃん」。既に千年は生きていると思われる双子の亀姉妹「カメ」「トメ」。地球征服を狙う宇宙人「星野一家」。強欲な古物商「タナカヨシコ」。俳人の「小林茶」。占いハムスターの「北斗の公」。その師匠のニヒルな占い師「・・・」あれっ、名前が出てこない・・・キャラクターが多すぎて覚えきれない!そんな中で私が一番好きなのは・・・、「トミー」の粋さや「貧ちゃん」の健気さも捨てがたいが、やっぱり登場回数で「キスケ」に軍配を上げよう。
 もう一つの魅力は、10分間に凝縮された良質のコメディだということ。また、時には趣向を凝らした作品もある。「トミー」の青春時代を描いた恋愛ドラマはフランス映画の趣があったし、台詞が全て和歌で語られるという作品もあった。また、街角に飾られた赤い服に見とれる「小町ちゃん」を描いた作品では、大人の世界に憧れる少女の心象風景が表現されていた。しかもこの作品はなんと全編、同じアングルで構成されていたのだ!
 確かに毎日仕事に追われているけれど、気持ちだけは<遊び心>を失いたくはないものだ。なぜなら私たちは<モノ>を通じて<夢>を売るのが仕事なのだから。
(つ)
 



ACT  グリーンマイル   1999年 アメリカ・20世紀フォックス作品
(戻る)

 高校生の時、初めて試写会というものに参加した。夕方、田舎町から電車に乗って、意気揚々ととある地方都市の映画館に向かった。映画の題名は『キャリー』。予備知識は全く無かった。だからこそ、あのエンディングはあまりにも衝撃的だった。
 「一刻も早く帰りたい!」私は急いで駅行きのバスに飛び乗った。しかし、バスはいつになっても駅に到着しない。混乱した私は全く方向違いのバスに乗ってしまったのだ。気が付いた時は後の祭り。おかげで知らない夜の街を1時間以上も彷徨うこととなった。「家に帰れるだろうか?」という不安と恐怖を覚えながら・・・。その時、スティーブン・キングという作家の名前を始めて知った。
 『スタンド・バイ・ミー』という映画も衝撃的だった。あのテーマソングとテレビCMにすっかり騙されてしまった。少年時代の冒険を描いたノスタルジックな作品。男の子なら経験のある夏の日の冒険旅行。私は勝手に『大草原の小さな家』のような、健全で真っ直ぐな映画と思い込んでいた。
 確かに表面的にはそうだった。が、少年達の冒険は「電車に轢かれた死体探し」が目的だった。原作小説の原題は『The Body(死体)』。主人公のひ弱な少年ゴーディーは、スポーツマンの兄への憧れと嫉妬を感じ、自分を冷笑する人々に対しては不気味な復讐劇を空想する。そしてこの冒険を通じて「死」というものに始めて向かい合う。彼こそスティーブン・キングの少年時代の姿なのだ。
 『グリーンマイル』を観てなぜこの2本の映画を思い出してしまったのだろう。それは、ジョン・コーフィーの「悲しみ」のパワーが、プロムを炎に包み込んだキャリーの「怒り」のパワーに通じるものがあただろうか?「死」という誰もが避けられないテーマに対し、入門編と解答編ともいえる関係を感じたからだろうか?役者は見事。演出は手堅い。ストーリー展開は言うこと無し。しかし、そんな表現では済まされない心臓を掻き毟られるようなこの感覚は一体なんだ!
 20年以上経っても未だ残るザラついた恐怖感。これがモダンホラーの旗手、スティーブン・キングの本質なのだろう。(つ)



ACT8  
フィールド・オブ・ドリームス  1987年 アメリカ・
(戻る)

 いよいよ野球シーズン到来。しかし最近は国内よりもメジャーリーグの方に関心が向いてしまう。『巨人の星』を読んでいた少年時代は、日本人では絶対通用しない世界と思い込んでいたが、野茂の活躍以来、多くの日本人メジャーリーガーが誕生した。そして、佐々木のフォークは「大リーグボール3号」となった!今年はいよいよイチローの参戦。(新庄も頑張れ!)人間性においては最近(?)の付く彼だが、グラウンド上では『メジャーリーグ2』の石橋貴明のような活躍を期待したいものだ。
 そういえば映画の世界でも野球は重要なアイテムである。日本にも『ダイナマイトどんどん』という快作(怪作?)があったが、やっぱりアメリカ映画には適わない。『がんばれベアーズ』『プリティ・リーグ』『ナチュラル』等、野球のレベルは違っても「アメリカ人は本当に野球が好きなんだ」と心から思える作品が多い。そして画面から伝わる爽快感。やっぱり野球は屋外でやるものだし、応援は自分の声で、しかも自分の言葉でするものだ。
 『フィールド・オブ・ドリームス』はそんな爽快感に包まれた映画だ。キャッチボールの楽しさ。ノック音の心地よさ。カクテル光線の美しさ。そして、そんな場所(球場)を求めて集まるヘッドライトの波・波・波・・・。
 キャッチボールとは言うまでもなく野球の基本である。相手が投げたボールを身体の中心で、しかも両手で受け取る。そして投げ返す時は、相手の胸元めがけて投げる。単純な動作の繰り返しであるが、このことが自分の技術を確立し、相手との信頼関係を生み出す。これは重要な練習であると共に、チーム作りの貴重な儀式のようにも思える。
 この映画は親子の物語でもある。つまり父と息子のキャッチボールの物語。息子は父親からキャッチボールを教えて貰い、やがて父親になった時、今度は自分の息子に教える。親子関係を作るには、子供の声を正面から受け取り、話すときは相手に分かるように語り掛ける。そんな単純で基本的な反復練習が必要だし、そのことの大切さを素直に表現した映画ではないだろうか。
 キャッチボールの出来る幸せ。お父さん、最近お子さんとキャッチボールしてますか?(つ)



ACT9  雨に唄えば    1955年 アメリカ・MGM作品
(戻る)

 例えば「辛い時や悲しい時、元気にしてくれる映画を教えて下さい。」と訊かれたら、私は迷わずこの映画を推薦する。理由は簡単だ。雨の中を唄い踊るジーン・ケリーの姿を見て昂揚しない人はいないだろうし、ケーキの中から飛び出してくるデビー・レイノルズの姿を見て歓喜しない人はいないだろう。また、板を突き破っても踊り続けるドナルド・オコーナーの姿を見て爆笑しない人もいない筈だ。
 MGMのミュージカル映画には、見る者を勇気付ける力がある。単純で、強引で、そして最後はハッピーエンド。3人の水兵がニューヨークの街で唄い踊る『踊る大紐育』も、7人の山男の兄弟が町の女性を連れ去る『略奪された七人の花嫁』も「こんなんあり?」と思えるような物語だ。今時こんなシンプルな映画は恥ずかしくて作れまい。しかし、観客を楽しませようとする製作者の『ザッツ・エンタテインメント!』の意志は、決して色褪せることは無い。
 「Good Morning(グッド・モーニング)」「Make 'Em Laugh(笑わせろ)」、「Moses(モーゼス)」等々、この作品は有名な主題歌以外にも素敵な楽曲が多い。そしてダンス!ダンス!ダンス!
 「スクールメイツ」で育った世代としては、最近の歌番組における日本人ダンサーのレベルアップには驚かされる。しかし、ヒップ・ホップ系の踊りには「感心」するが「感動」はない。「上手い」とは思うが「粋さ」や「熱気」が無い。
 もう10年以上前だろうか。アカデミー賞の授賞式で主役の3人が「Singin' in the Rain(雨に唄えば)」をバックに登場した時、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。フレッド・アステアよりもジーン・ケリーが、『巴里のアメリカ人』よりも『雨に唄えば』が愛されるのは、より「古き良きアメリカ」的だからに違いない。
 人を勇気づけ、楽しませることの出来る仕事とは素晴らしいものだ。その意味で我々の仕事はもっと『ザッツ・エンタテインメント!』であるべきだ。お客様に喜んでもらう事こそが、我々の存在価値なのだから。(つ)



ACT10  おもいでの夏   1971年 アメリカ・ワーナーブラザーズ作品
(戻る)

 「きれいなお姉さんは好きですか?」なんて訊かれるまでも無い。思春期の少年とは年上の女性に憧れるものなのだ。これは大人への通過儀礼として古今東西、少年の共通した感情だ。映画の世界では、日本にも『博多っ子純情』という快作があった。これがイタリアになると『青い体験』なってしまう。それぞれ地域性や国民性が出て面白い。
 学生時代、「早稲田松竹」という名画座があった。毎年、夏の始めには決まってこの作品を上映していた。そして永遠のヒロインであるドロシーとの再会が、私の「夏の儀式」だった。演じているのはジュニファー・オニール。彼女がスローモーションでスクリーンに登場した瞬間、主人公のハーミーと同様、私に「安らぎと不安と自信」を与えてくれた。 原題は『SUMMER OF '42』。つまり『1942年の夏』である。1942年の夏!まさに第2次世界大戦の真っ只中ではないか!そんな時代にアメリカの少年は、避暑地の島で夏を過ごしていたのだ!これでは日本が戦争に負けるのも当然である。しかし、そんな事は少年達には関係ない。島での出来事が彼らにとっての全世界なのだから・・・。 
 題名のとおり、季節は夏。しかし、主人公の回想で綴られるこの夏は、どこか物憂げで寂しい。ロバート・サーティースのカメラは夏の強い光線を拒否し、柔らかな秋の光を湛えている。そしてミシェル・ルグラン(アカデミー賞受賞)の悲しく美しいテーマ曲。
 夕暮れにドロシーの家を訪れるハーミー。いくら呼んでもドロシーの姿は見えない。テーブルの上には消し忘れたタバコ。その脇に・・・、夫の戦死を告げる手紙が置かれている。「ひどい顔でしょ」と泣き腫らしたドロシー。レコードからテーマ曲が流れる。無言で踊り始める二人。やがて曲は終わり、聞こえるのはレコードのスクラッチ・ノイズだけ。しかし、なおも無言で踊り続ける二人。ハーミーの瞳から一筋の泪がこぼれる。そして・・・。ラスト20分、映画は無駄な台詞を拒否する。風と波と薄明かりが二人を包み込む。
 この映画の結末を思い出すだけで胸が締め付けられる。そして「私の人生で、彼女ほど私を恐れさせ困らせた人はいない」という冒頭のモノローグが甦る。決して戻れない15歳の夏。
 この映画を見る度にこう思う。「センチメンタル」という言葉は、どうやら男性の為にあるのだと。(つ)