映画きの組合員が、半分趣味として書き始めたコーナーです。
         思い込みの激しい内容ですが、読んでみて下さい。

回 数 作 品 名 制作年度 掲載号
第91回  小さな恋のメロディ 1971年  2011.5(No274)
第92回  ナチュラル  1984年   2011.7(No275)
第93回  スタンド・バイ・ミー  1986年   2011.8(No276)
第94回  Colorful  カラフル  2010年   2011.9(No277)
第95回  続・激突!/カージャック  1974年   2011.11(No278)
第96回  阪急電車 〜片道15分の奇跡〜 2011年  2012.1(No279) 
第97回  Love letter 1995年   2012.2(No280)
第98回  僕たちは世界を変えることができない But we wanna build a school in  Cambodia 2011年   2012.4(No281)
第99回      
第100回       



ACT91   小さな恋のメロディ    1971年 イギリス映画    
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 5月を迎え、この季節になるとビージーズの「若葉のころ(原題はFirst of May)」が聴きたくなる。聴けば若葉が萌え出るような初々しい映画のワンシーンが甦る。
 ロンドンの朝焼けをバックに「僕の人生の朝」と唄う「In the Morning」から映画は始まる。バリー・ギブの柔らかな歌声が心地よい。トレーシー・ハイドの登場時には「Melody Fair」(メロディは役名で映画の原題にもなっている)が流れ、「Give Your Best」「To Love Somebody」と続き、「世の中を渡るには掟がある」「君たちの夢を親に語るがいい」と大人と子供、両者の視点で唄う「Teach Your Children」(これはクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの曲) まで、名曲と共に幸福な時間が一気に駆け抜ける。そういえば大学時代、映画仲間とオールナイト上映に行ったとき、オーバ君はずっと唄っていたっけ・・・。まあ、そんな気持ちのいい作品です。
 映画公開から40年が経った。脚本のアラン・パーカーは後に監督として成功する。代表作のひとつ「フェーム」(’80)の舞台である芸術学校と本作のパブリック・スクールは、地域も学生も異なるが雰囲気がよく似ている。また、オーンショーはダニエルの母親から車で豪邸近くまで送ってもらい、そこから実際の家に帰るのだが、「フェーム」にも同様のシーンがある。(注1)
 「ジャック・ワイルドはもうこの世にいないんだよなぁ」などと感慨に耽りながら久々に見直した。そしたら「ジャック・ワイルドは『SP』の真木よう子に似ている」ことに気が付いた。まさか『SP』製作者にそんな意図はないと思うが、輪郭や髪型、目の動き、性格設定もそっくりなことを発見し、密かにほくそ笑んでしまった。
 変わってないこともある。墓地でミック・ジャガーのポスターにキスする女の子がいるが、彼は今も現役だ。
 「こんな同級生はいたよなぁ」と懐かしさを覚える個性豊かな子供が魅力的だ。一方、両親や先生はもちろん(?)、スケッチ風に映し出される人々も、大人は下品に描かれている。内気なダニエルでさえ、「年寄りはたいてい惨めだ」と語る。こうした「Don't trust over thirty30歳以上は信じるな)時代」(注2)の雰囲気が、本国イギリスではヒットしなかった理由なのだろうか。
 「ぼく達は一緒にいたいンです。それが結婚でしょ、おかしな事じゃないでしょ」
 世間知らずと言われようが、ときにはこんなに純粋で真っ直ぐな気持ちも必要かな? などと思う今日この頃である。(つ)

(注1)タクシーで送ってもらったアイリーン・キャラが一流ホテル前で降り、地下鉄へと向かう。
(注2)昔、東京キッドブラザースを主催した東由多加の書籍にこのフレーズがあったと記憶している

 

ACT92       ナチュラル    1984年 アメリカ映画 
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 Natural」とは一般的には「自然な」などと訳されるが、本作の場合、原題に「The」の冠が付いていることから、「天賦の才」というような意味なのだろう。
 アメリカ中部・ネブラスカ州の農園で父親からノックを受けるホッッブス少年がいる。息子の才能を見抜いた父は「才能だけでは不十分だ。才能に溺れると失敗する」と忠告する。成長し投手としてカブスから勧誘を受けたホッブスは、幼なじみのアイリスに「あらゆる記録を塗りかえる」と宣言し、意気揚々とシカゴへと向かう。道中、その才能を披露したことで、黒い衣装をまとった謎の女性に誘惑される。そして、彼女の部屋を訪れたとき銃弾を浴びる。この女はいったい何者なのか? 
 
16年が経過し、今度は打者としてニューヨーク・ナイツ(注)に入団する。この間、彼に何があったのか、どんな練習を積んだかは描かれない。ただ、低迷するチーム成績、オーナーとの確執に加え、35才のルーキー登場に監督が渋い顔なのは確かだ。

 しかし、レギュラー選手の怠慢プレーに怒った監督は、腹いせに代打として起用する。少年時代、落雷を受けた木で創ったバット「Wonder Boy」を手にホッブスは打席に立つ。そして・・・、放った一打はボールの革を剥ぎ、糸を引いて外野へと転がっていく。まさに電光石火の一撃だ。
 この作品に対して「現実味がない」だの「人間描写が出来ていない」といった批判がある。なんて淋しい見方だろう。映画は現実とは違う。まして本作は、まさにファンタジーとして製作されている。1930年代のレトロな雰囲気、美しい映像と音楽、打球音の心地よさ、それらを素直に楽しめばよいではないか。
 
一躍ヒーローになったホッブスに、様々な人間がすり寄ってくる。球団を金儲けの道具としか見ないオーナー。その手先としてホッブスを誘惑する女。嫌みなスポーツ記者。冒頭に登場した殺人鬼の女性も含め、彼らは、人生における不幸や障害の「象徴」として描かれている。
 「引退後のことを考えろ」というオーナーの脅し対して、ホッブスは「人間には二つの人生がある。学ぶ前と学んだ後の人生だ」と答える。つまり、16年前と同じ過ちを犯さないという意思表示だ。どんなに優れた才能を持っていたとしても、それだけで生きていけるものではない。
 ということは、何の才能もない自分だって、失敗から学べば生きていける。そう頭を切り替えたら気が楽になった。(つ)

  (注)映画用の架空のチームだが、ウィンドブレーカーはヤンキースのデザインを真似ていた。



ACT93    スタンド・バイ・ミー    1986年 アメリカ映画 
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私の故郷には鉄橋がある。町の中心を流れる川に掛かる鉄橋は、少年時代を過ごした田舎町の代表的な風景だ。ある日、同級生のヨシノリくんが「渡ってみよう」と言い出した。橋は頑丈そうだし、脇にある歩道を歩くので怖くなかったが、当時、「先生受けのするよい子」を演じていた私は拒否をした。案の定「弱虫」という言葉が返ってきた。嘲笑されたことより、世間の目を気にする自分の嫌らしさを恥じながら、橋を渡った。本作のような「列車が来て危機一髪!」とはならなかったが・・・。
 こんな事もあった。テレビでUFOを呼ぶ儀式(?)が紹介された翌日、教室はその話題で持ちきりだった。悪友が「俺たち呼ぼう!」と言い出した。立ち入り禁止の屋上に上がり、おバカな男子が輪になり、寝そべって呪文を唱える。「ベントラ!ベントラ! 私たちはアナタの仲間です・・・」。結局、宇宙人は現れなかったが、怖いナグモ先生が登場した。そして「アナタまで何ですか!」と叱られた。先生の言葉より、仲間の視線が気になった。
 ホントウノ・ジブンハ・チガウノニ・・・。

 アメフトの花形選手だったゴーディーの兄が交通事故で亡くなり、両親はひどく落胆する。ひ弱なゴーディーは居場所をなくし、「お前が死ねばよかった」と父に言われる悪夢まで見る。作家としての才能を見いだしてくれたのは兄だった。両親の態度は彼に二重の苦しみを与える。
 クリスはアル中の父と不良の兄のせいで、泥棒の汚名を浴びる。一度は盗んだ給食費を思い直して返したが、荒れた生活で不良のイメージを利用した先生が、その金を着服したのだ。その後クリスは苦学の末、不正に立ち向かう弁護士となる。
 
作家になった(注1)ゴーディーは、クリスが殺害された(注2)という新聞記事を見つける。不良同士の諍いを制止した際の非業の死だった。少年時代、クリスもゴーディー才能を高く評価し、「いつかおれ達のことを書け」と言っていた。本作は、少年たちの冒険物語というより、兄や親友の死にまつわる回顧録である。
 少年時代の私にとっても、当時過ごした田舎町が世界の全てだった。やがて、退屈な町から早く抜け出したいと願うようになった。大学進学は、田舎から抜け脱すための手段でしかなかった。
 夏は少年の季節だ。本作は少年の無力さや情けない感情が満載で、夏が来ると無性に見直したくなる。その思いはなぜか歳と共にいっそう強くなる。(つ)

(注1)原作はスティーブン・キングの短編集「恐怖の四季」に収められた「THE BODY(死体)」
(注2)この作品で注目されたリバー・フェニックスも23歳の若さでこの世を去っている。

ACT94     Colorful カラフル    2010年 サンライズ制作 
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アニメ映画といえば、眩い色彩、派手なアクション、奇抜なキャラクターなどが売り物だが、本作は「一度死んだ人間が甦り、再挑戦のチャンスを得る」という設定こそ非日常だが、描写はあくまでリアル。まるで山田太一のホームドラマのような印象だ。もっともSFXや3Dの台頭で、実写とアニメの境界線は無くなった。人物描写に定評のある原恵一監督(注1)の、実写映画への挑戦状のようにも感じられる。
 生前の罪で輪廻のサイクルから外れた【ぼく】の魂が、天使業界の抽選に当たり、再挑戦のチャンスを得る。ホームステイ先は自殺した中学3年生、小林真。クラスから浮いていて、かつてイジメにも遭っていた。そんな真の唯一の安息場所が美術室。絵の才能だけは自他共に認めていて、ふらりと現れては誉めてくれる桑原ひろかの存在が唯一の喜びだった。しかし、ひろかが中年オヤジとラブホテルに入るのを目撃する。呆然と佇んでいると、今度は母親がフラメンコ教室の講師とホテルから出てくる。その晩、睡眠薬を飲んで自殺を図る。小林真とはそんな少年である。
 なかなかハードだなぁ・・・」と思っていたら、娘は既に中学校の図書館から原
作本(注2)を借りて読んでいた。

 【ぼく】が宿ることで小林真は生き返る。「なんでコイツなの!」と案内役のプラプラに抗議をする。無愛想な兄も、穏和な父も、やたら絡んでくる同級生の佐野唱子の存在さえも鬱陶しい。しかし、「これも修業のうち」とプラプラは取り合わない。
 プラプラは原作では大人の設定だが、少年の姿で登場する。他とは違うはタッチで描かれ、無邪気さと厳しさが混在した性格は、【ぼく】を困惑させる。
 真の同級生、早乙女くんの存在も大きく膨らましている。廃線になった玉電の跡を二人で辿るシーンは、映表ならではの至福の時間だ。二人が買い食いをするシーンも見事。真からチキンをもらった早乙女くんは、半分から6:4の割合に変えて肉まんを割り、大きい方を真に与える。その気遣いと細かな演出に、自然と涙が溢れ出た。
 題名とは裏腹の沈んだ画調が、家族や同級生に対して違う感情を持つにつれ、次第に明るさを帯びてくる。十人十色と言うけれど、ひとりの人間だって実は様々な色を持つ。人は「カラフル」な生き物だ。美点もあれば欠点もある。自分自身も含め、そんなやっかいな人間と付き合うことが、「生きる」ことだと気づいたとき、【ぼく】の謎は解け、映画は大団円を迎える。

(注1)「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲」「河童のクゥと夏休み」に続き3度目の登場。
(注2)作者は直木賞作家の森絵都(もりえと)。本作で産経児童出版文学賞を受賞している。

 

ACT95     続・激突!/カージャック    1974年 アメリカ映画
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 長年、映画界を牽引するスティーブン・スピルバーグ。彼の劇場用映画第1作がこの作品。「その前に『激突!』があるじゃない。タイトルにも『続』って付いてるし!」という人はかなりの映画通だ。
 確かに『激突!』はスピルバーグ作品だが劇場用映画ではない。テレビ映画として撮られたが、あまりにも出来が良かったので、日本では劇場公開されたのだ。迫り来るタンクローリーの運転手の顔を見せないという、得体のしれない恐怖を煽る演出は、『ジョーズ』でも如何なく発揮され、スピルバーグの名前を世界に知らしめた。
 「激突!」以前に「刑事コロンボ」(注1)でも監督を務めている。「構想の視角」という作品で、オープニングが印象的だった。俯瞰で向かってくる車を捉える。カメラを引くとそこは高層ビルのオフィスで、作家が小説を執筆している。バックに流れるタイプライターの音が緊張感を盛り上げる。
 こうした手腕が認められ、劇場用映画に進出する。原題は「the sugarland express」、『激突!』とは無関係の作品だが、監督が同じということで、こんな邦題になった。それだけ『激突!』の評価が高かったという証ともいえる。
 主人公は、ちょっとオツムの弱い若夫婦。二人とも前科があり、そのため子供の養育権を奪われ、その子は「シュガーランド」という土地で里親に育てられている。妻は子供を取り返そうと刑務所を訪れ、あと4ヵ月で出所する夫を脱走させる。かくして二人はパトカーを乗っ取り、人質の警官と共に「シュガーランド」へと向かう。
 妻役のゴールディ・ホーンがなんとも魅力的だ。ブロンドの髪と大きな瞳。無鉄砲だが憎めないキャラクター。本作でも逃走中にも関わらず、景品交換スタンプ(注2)を集めるおバカぶり。70年代から80年代にかけては、確かに彼女の時代だった。
 
二人を追ってテキサス州警察が出動するが、子供を返して欲しいという純粋な要求が大衆の共感を呼び、手出しができない。何台ものパトカーを率いて走る様子は、大名行列のよう。立ち寄った町では大歓迎を受け、警官とも信頼関係が芽生える。
 カーアクションや銃撃戦もあるが、今のレベルからしたら満足できるかどうか・・・、SFXもないしね(笑)。ただ、犯罪映画でありながら大らかでユーモア溢れるタッチは、かえって新鮮に映るだろう。延々と続くハイウェイや広い空。映像も魅力的だ。
 スピルバーグさん、もう一度こんな作品を撮ってくれませんか?(つ)

(注1) 言わずと知れた故ピーター・フォークの人気作。古畑任三郎シリーズの原型としても有名。
(注2)日本にも「ブルー・チップ」というサービスがあり、子供の頃、我が家でも集めていた記憶がある。



ACT96    阪急電車 〜片道15分の奇跡〜  2011年 東宝作品
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 「人はそれぞれ皆、いろんなやりきれない気持ちを抱えて生きている。死ぬほどつらいわけではないけれども、どうにもならない思いを抱えて生きている。そして、その気持ちは誰にもいえないのだ」こんなモノローグで映画は始まる。
 登場人物は、仲間はずれにされた少女。進路に迷う女子高生・悦子。苗字にコンプレックスを持つ新人女子大生・美帆。彼氏のDVに苦しむ女子大生・ミサ。婚約者を同僚に寝取られたOL・祥子。嫌いな主婦グループから抜け出せない主婦・康江。更には老婦人・時江と孫娘・亜美のコンビも加わって、各世代の女性が大集合する。
 原作は人気作家・有川浩(注1)のベストセラー小説。上映時間の関係からか、小説では最初と最後を飾る征志とユキのエピソードが丸ごとカットされていて(注2)、不満を感じる読者もいるようだが、原作が持つ爽快感は健在だ。
 脚本は朝ドラの「ちゅらさん」や「おひさま」で女性賛歌を歌い上げた岡田惠和お婆ちゃんが重要な存在を占めるのも彼の作品の特徴で、本作でも宮本信子が演じる時江がキーパーソンとなっている。
 「自分の意志で涙を止められる女になりなさい」と孫娘(芦田愛菜!)を甘やかさないキャラクターが秀抜で、凛とした立ち振る舞いに胸がすく。亡夫・伊丹十三監督とのコンビで世に送り出した「マルサの女」シリーズを彷彿とさせる好演だ。
 時江と話したことで祥子は新たな一歩を踏み出し、「あなたのことをカッコイイ思う人もいるから」と少女を励ます。DV彼氏を「くだらない男」と一蹴されたことでミサは別れを決意し、弱気な康江を無神経なオバサン軍団から救出する。ゴンちゃんこと美帆は、オバサン軍団に痛烈な一撃をかました時江に対する拍手を惜しまない。
 時江は知恵と礼節を合わせ持った人物だ。しかし単なる指南役で終わることなく、ロマンスも描いている点が心憎い。原作にない悦子の彼氏・龍太との交流も描かれ、この時ばかりは恋する乙女へと変身する。
 自分ことは自分で解決するしかないと思っていた祥子が、「アナタと話してみたい」とユキと歩き出す。阪急今津線を舞台に様々な人生が交錯し、それぞれが生きる喜びを見いだしていく。
 新しい年、新しい出会い。そこにはどんな「奇跡」が待っているだろう。(つ)

(注1)「図書館戦争」シリーズで有名な女性作家。「フリーター、家を買う。」はテレビドラマ化された。
(注2)この二人の物語はau「LISMOチャンネル」で配信された。DVDも発売されている。



ACT97
 
   Love letter  1995年 フジテレビ作品
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 今年の冬は寒い。「そうだ、冬の映画を紹介しよう」と思ったとき、真っ先に浮かんだのは、雪原に立った中山美穂が山で遭難した婚約者に「お元気ですか〜!」と絶叫するシーン(注1)だった。
 元婚約者である藤井樹の三回忌、神戸に住む渡辺博子(中山美穂)は断ち切れない思いから、彼が昔住んでいた小樽へ届くはずのない手紙を出す。数日後、小樽に住む女性の藤井樹(中山美穂の二役)から返信が届き、二人の奇妙な文通が始まる。
 私はこの作品の記憶があやふやだった。それは、ファーストシーンの神戸も雪景色で(注2)、今の博子の恋人がガラス職人であること。しかも二人が会話する店も、小樽の雰囲気を醸し出している。どちらもお洒落な街だし、似ているのかもしれないが、普通はもっと違いを明確にするだろうし、博子と樹の髪型にも変化をつけるだろう。だから、「あの場面は神戸? それとも小樽だっけ?」みたいな混乱があった。
 結局、二人の藤井樹は中学時代同級生だったこと。そのため二人の間には、様々なトラブルがあったこと。そして、博子が女性の藤井樹の住所に手紙を出してしまったことが、問題の発端だと分かってくる。

待てよ・・・。それなら最初に手紙をもらった時点で、「博子さん、あなたの藤井樹は、同姓同名の同級生のことではないですか」と返信するのではないか。学校もそんな二人を3年間も同じクラスにすることはないのではないか。などと、今度はシナリオの不備を感じ始めた。
 しかし・・・である。この作品に対してそんな野暮な指摘はやめにしよう。監督は緊張感溢れる雪景色と、中山美穂を撮りたかったのだから。神戸と小樽、博子と樹の区別など気にしない。いや、むしろわざと混乱させるように撮ったのではないか。博子と樹を一体化させるために。
 整合性より、博子が卒業アルバムから腕に住所を書き込む艶やかさ。中学生時代の樹(酒井美紀)が父の葬儀の帰り道、凍った路面を滑りくるりと半回転する可憐さ。粉雪が舞う中、博子に頼まれた樹がインスタントカメラで中学校の校庭や校舎を撮影する切なさを重視したのだろう。
 圧倒的な映像と音楽の美しさを前に、私たちはその世界観に浸ればいい。その方が人の感情を無視し、理屈ばかりこねるより、ずっと人間らしいではないか。
 時を経て、可愛い後輩たちが届けてくれたラブレターには、無口で無愛想だった藤井樹(男)の気持ちが溢れていた。(つ)

(注1)場面は海岸だったが、昨年公開の「アントキノイノチ」で同様のシーンがあった。
(注2)神戸の設定だが、撮影地は小樽の天狗山スキー場とあるサイトに掲載されていた



ACT98    僕たちは世界を変えることができない 2011年 セントラル・アーツ制作
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                      昨年のキネ旬ベスト・テンでは39位、興行成績も3億円という成績で、向井理や松阪桃李のファン以外には、忘れ去られそうな作品である。しかし、私にとっては昨年最も印象深かった作品で、もっとみんなに知って欲しい魅力に溢れている。
 自費出版された、下ネタと本音が満載の実話が原作。映画の公開に合わせ、小学館から単行本も出版されている。原作者の葉田甲太氏は、現在は小児科医をめざし、研修医として都内の病院に勤務している。
 日々の生活に物足りなさを感じていた医大生が、イベントで150万円の資金を集め、カンボジアに小学校を建設するお話。正直いって始めは「医者になるなら、ちゃんと勉強しろよ」とか「イベントで資金集めって、どうよ?」とか「何でカンボジアなの?」というわだかまりも感じていた。しかし、こうした居心地の悪さは、彼ら自身が一番強く感じていたことなのだ。
 活動を通じて人と出会い、様々な体験をし、仲間と議論し、自問自答しながら目標に向かって進んでいく。葉田氏は活動を始めた理由を問われると、多分に照れもあると思われるが、「なんとなく」が丁度いいと言う。何度もめげそうになりながらも、「笑顔をもらうのはとても幸せなこと」で、「人生を楽しむ秘訣でもある」という結論は、とてもリアルで興味深かい。
 
映画の評価が低かった理由は、劇映画としては脱線しているからだろう。映画ではネオリアリズモ(注1)に代表される、ドキュメンタリー的手法はよく使われる。しかし、キリングフィールドでポル・ポト政権時代のカンボジアの暗黒史を目の当たりにする場面は、ドキュメンタリーそのものだった。しかも、ガイド役のプッティーさんは、葉田氏が実際に世話になった人だ。全編同じトーンならともかく、この場面だけ圧倒的な迫力(?)で浮いていた。評論家視点からすると、反則とみるか、演出力不足と断じるか、どちらかなのだろう。
 主演の向井理はデビュー当時、「世界ウルルン滞在記」でカンボジアを訪れ、ホームスティをしながら、畑仕事や地雷(注2)を除去する手伝いをした。現在は「日本・カンボジア親善大使」を務めている。
 世の中には不正・貧困・差別が渦巻いているが、ボランティアを語るとき、自分の無力さに泣けてくる。確かに僕らには、世界を変える財力も権力もない。けど、周囲の人を笑顔にすることくらいは、出来るのではないだろうか。カンボジアの少年・少女の笑顔は、その尊さを教えてくれる。(つ)

(注1)第二次大戦後、イタリアで起きたリアリズムの手法で現実を描写する傾向。
(注2)世界中に埋められた地雷は7000万個。内戦時代、カンボジアにも大量の地雷が埋められた



ACT99    
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ACT100    
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