最近読んだ本について、気ままに書いてみました。

回 数 作 品 名 著 者 出 版 社 定 価 掲 載 号
第41回  とんでも一行知識の世界    唐沢 俊一   ちくま文庫     580円  2005.11(No226)
第42回  魔王  伊坂 幸太郎  講談社   1238円  2006.1(No227)
第43回  日本沈没  小松 左京   小学館文庫   上下各600円  2006.2(No228)
第44回  ザ・チーム   井上 夢人  集英社  1700円  2006.4(No229)
第45回  包帯クラブ   天童 荒太  筑摩書房   760円  2006.5(No230) 
第46回  ああ息子  西原理恵子
 +お母さんズ
 毎日新聞社       838円  2006.7(No231) 
第47回  かたみ歌  朱川 湊人  新潮社    1400円  2006.8(No232) 
第48回  ロズウェルなんか知らない    篠田 節子   講談社       1700円  2006.10(No234) 
第49回  おまえうまそうだな     宮西 達也  ポプラ者        1200円  2006.11(No235)   
第50回  青空の卵  坂木 司  創元推理文庫       743円  2007.1(No236)   

第41回  『とんでも一行知識の世界』 唐沢 俊一 著

のっけからプライベートな話で恐縮だが、新婚旅行でチェコに行ったとき(またなんでそんなところに行くかねえ、僕らも)あちらで飲んだビールが、全部「バドワイザー」だったもんで、「ああ、恐るべし、アメリカ資本」などと感じ入ったのだが、何のことはない。この本を読むと、「バドワイザー」はもともと、チェコのビールだったらしい。ああ、こんなことなら、馬鹿みたいに安かったのだから、土産代わりに大量に買い込んで、蘊蓄のひとつもたれてやるのであった。
 というような、どうでもよい、しかも一行で収まる知識、本書では「トンデモ」と称しているが、英語で「トリビア」というらしい。
 はい、そうですね、この本は最近人気のあのテレビ番組のネタ本なのですね。
 筆者の唐沢は、いわゆるオタクだとかカルトだとかに造詣が深く、超のつく古書、それもちょっとくだらない系
の、マニアである。で、先にも書いた、まあどうでもよい一行知識の収集を趣味としているらしい。
 当然あの番組にも「スーパーバイザー」として名を連ねてらっしゃいます。正直、われわれは「役に立つ知識」に追われて生きている。「目的のための知識」と言いかえてもよい。無駄な知識を持っていても、それこそ屁の役にも立たないし、時間の無駄といえばそれまでだ。だけど、「役に立たない知識」というのは、逆に、目的のない知識、すなわち「純粋な知識だけのための知識」といえまいか。あの番組がはやっているのは、そういう面白さにみんなが気づいたためかもしれないね。
 ここまで書いたところで、冒頭の知識にツッコミが入った。現在有名なほうのバドワイザーはアメリカ人の創業者がチェコで飲んで、気に入ったビールの名前を勝手につけたらしくものらしく、元祖バドワイザーとは別物らしい。うーん奥が深いが、僕が飲んだのは果たしてどっちだったろうか? まっそれこそどっちでもいいか。 (英)

第42回  『魔王』  伊坂 幸太朗 著

 ちょっと前に、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」を読んで以来、ちょっとでも重力を少なくしようと、面白おかしく生きようとしているのだが、いっこうに体が軽くならないのは、世の中が悪いのか、それとも自分の行いが悪いのか・・・。冗談はさておき、今月は再度、伊坂に登場いただこう。
 彼のファンにとっては少し面食らうかもしれない。いつもの軽妙さは影を潜め、読みようによっては、むき出しと思えるメッセージが伝わる。それは本書の微妙な発売時期(総選挙の直後!)にも関係する。沈思黙考、考えすぎる兄と直感で生きる、のんきな弟。平穏な日常の中から現れる一人の政治家。人々の心を鷲摑みにする彼は、大きな潮流を作り、やがて政界の中心へと上り詰めていく。その流れにただ一人戦いを挑もうとする兄。未来にあるのは荒野か青空か。
 さて、題名にもある「魔王」とは何なのか?独裁者か?ファシズムか?自虐史観か?時代の閉塞か・・・?答えは無い。
 「考えろ、考えろ」
 本書の主人公が言うとおり、自分で考え導き出すしかないだろう。世の万人が、考えることを止め、他人に決定をゆだねてしまったとき、「魔王」は現れる。いや、自分で考えることを止めてしまう、それこそが「魔王」なのだ。当然、僕の心に、あなたの心に「魔王」は潜んでいる。いや、もうすぐそこにいるかもしれない。
 本書の主人公は言う。「若者が国に誇りを持てないのは、教育のせいじゃない。どっちかと言うと誇りが持てないのは、大人が醜いからだ」
 かっこいい大人になるにはもう手遅れかもしれないが。せめて醜い大人にはならないようにしよう。子供たちのために。
 しかしまあ、重力を感じなくなるほど、楽しい時ってのは少ないよね。子供と風呂に入っている時ぐらいか?
 それって、ただの浮力じゃん。やっぱりちょっとだけ悲しい。

 今回は、第35回「重力ピエロ」とリンクしています。(英) 

第43回  『日本沈没』  小松 左京 著

 「ええ、今更また映画化するのか!」と驚いて、本棚をごそごそ探してたら、出てきましたなあ。昭和48年の作品、358万部売れた空前のベストセラー『日本沈没』。あの時すでに一度映画化されて、これも大ヒット。主演が藤岡〈仮面ライダー1号〉弘と、いしだ〈ブルーライト・ヨコハマ〉あゆみ、だから時代を感じるね。
 
というわけで久しぶりに読み返してみたけれど、これがまたおもしろい。当時まだ耳慣れなかった「プレートテクトニクス理論」を根拠に日本列島のほとんどが海没する、という大風呂敷を見事に広げきり、その未曾有の災厄にどのように対処するのか。一億一千万の日本国民(当時ね)を国外移住させることは、果たして可能か。
 
まあ、科学的事象に関しては当然ながら、いまや古臭いところも多いし、多くの若者たちが気軽に海外に出向き、活躍する昨今となっては、ピンとこない向きもあるやも知れぬ。しかしそれでも、民族紛争や難民問題のあふれる海外のニュースを見聞きするとき、小松の説く「日本民族論」―何千年もの歴史を通して、故郷故地を持てず、流浪と辛酸をなめ続けた民族の多い中、常に帰る「家」のあった日本人とは幸福な民族であったのだ―は重く感じられる。そして、帰るべき「家」を失った日本民族がどのように変貌し、いかにしてアイデンティティーを保てるのか。あるいは他の民族に混じり、滅び消え去る運命となるのか。
 本来、小松の描きたかったのは『第2部』で書かれるはずの民族流亡記であり、『日本沈没』はその壮大なプロローグであったのかもしれない。残念な事に、その『第2部』とやらが書かれることは今に至るもない。
 だが思う。阪神大震災で日本政府の無策振りを目の当りにし、小泉政権の外交の下手さ加減を見せ付けられる昨今。きっと我々は『日本沈没 第2部』の世界を生きているのだ。 (英) 


第44回  ザ・チーム  井上 夢人 著

 今回は、人を「だます」お話。
 前々から書いているとおり、あたしゃ、基本的に「霊」とやらの存在を信じていない。特に「霊能者」などというものは、ほとんどインチキだと思っている。
 でもって、今回紹介する本書の主人公は、盲目の人気霊能者。テレビ番組の彼女の霊視がきっかけで、社会的大事件の謎や不可思議な事象の真実が次々と明らかになる。当然彼女は超人気者となり、巷に大ブームを起こす。けども・・・
 ただひとつ、彼女の霊能力は、完全なインチキ。絵に描いたような偽霊能者。作品のタイトルにもなっている「チーム」とは、彼女を含め、人気霊能者を創り上げるスタッフのこと。依頼者の、「家」に忍び込み、物理的に個人情報を盗み出す男と、インタ
ーネットを駆使して情報を取り込む女。彼ら二人が「霊視」を演出するうちに、いつのまにか重大事件に隠された真実を浮き彫りにしていく。
 当然、インチキ霊能者である彼らが行っていることは完全な詐欺であり、どっちかと言うと、彼らは「悪役」なのである。ところが、いつしか、その彼らが今度は探偵役に変わり、最後には大ボスである盲目の偽霊能者が、「名探偵」ばりに、謎解きを披露する。その代わり身はなかなか痛快である。
 まあ実際、霊能者なんてのはこんな手を使ってるんだろうなあ。僕は信じないけれど、信じることにより、幸福を感じている人もいるんだろう。
 だまされることは決して悪いことばかりではない、と言うことはわかる。結果オーライなら、それもよしだろう。ただ、どうせだますんなら無様にやるのではなく、本書のように手際よく鮮やかにだましてもらいたいもんだ。(英) 

第45回  包帯クラブ  天童 荒太 著

 今の世の中、がんばって生きている人なら誰だって、心に一つや二つの傷を負っていることだろう。それは、もうかさぶたとなり風化してしまった傷かもしれないし、まだ生々しく血の流れる傷かもしれない。ただ殆どの人は、自分の心の傷から目をそむけ、押さえつけて成長していくだけなのだろう。
 だが、それではいけない。どんな傷も、手当てされ癒されなければならない。本書は、自分たちの大切なものを守るべく、それを実行しようとした少女たちの物語だ。
 彼女たちは、ひょんなことから自分の心が傷ついた場所、残酷な風景に、「包帯を巻く」ことを思いつく。それは、自分たちの「心の傷」と向き合い、認め合うことにより、手当てをすることに他ならない。
「包帯を巻く」ことにより、彼女たちは伝える。人が受けた深い傷に、してあげられることは少ない。しかしそれを傷だと認め、痛みを理解してあげることはできる。「心の傷」が痛ければ、泣いていいのだ。理不尽なことには、怒っていいのだ。そして、自分たちの大切なものを奪い去ろうという存在に、お互いに傷つけあうことを強要する存在に、「否」を表明できる強さを身につけようではないか。
作品中、高校生の彼女たちは、途中挿入されるエピソードの中で、立派に成長した姿を見せる。あたかも彼女らは「世の中すべて」に包帯を巻こうかの勢いだ。
 未来を担う少年少女たちに幸あれ! 確かに今の世の中は生きにくい。しかし胸を張って生きよう。顔を上げて行こう。心が傷ついたら、包帯を巻けばいいのだ。そして仲間の傷には包帯を巻いてあげよう。本当に大切なものを奪われないように。まして奪う側には決してならないように。
 なあ、おじさんだって、たまには泣いていいんだよなあ(英)

第46回  ああ息子  西原 理恵子+お母さんズ 著

息子が幼稚園に通いだし、妻にもお母さん仲間ができた。まあ、子育ての上で、いろいろと情報交換にいそしんでおるようなのだが、どうやら、おかあさん(ことに若い)にとって「男の子」というものは、なかなかに理解不能の生き物らしい。
 というわけで、本書は2児の母でもある、漫画家の西原理恵子が88人のお母さんたちと創り上げた1冊。もともとは西原が新聞に連載していた漫画の中で、予期せぬ長男の行動に驚きあきれるように、世のお母さん方が体験した、【息子異次元体験】を募集したところ、くるわくるわ、あっというまに本になるほど集まったらしい。
 もともと、西原の漫画には「弱い立場の人々」「たくましく生きる人々」への共感が根底に流れているのだが、この作品では、息子という【異次元人】との苦闘を繰り広げるお母さんたちへのエールに溢れている。そしてまあ「犬だと思えば腹も立たない」と言いつつも、想像を絶する行動を繰り返す「男の子」達への愛情に満ちている。なんだか高島屋ではベビー用品の売り場にまで進出したらしく、並みの育児書より喜ばれるという話だ。
 読みながら爆笑しつつ「うちの息子はここまでは」と漏らしたら、横で妻がため息をつきつつ、首を振っていた。
 そ、そうなのか? うちの息子も同じなのか? ちょっと、ショックな顔をしたら、「あんたも昔おんなじことしてたって、お義母さん笑ろてたで」
 お、おれは、違う!
 今、笑ったやつ! あんたもきっと、おんなじこと言われてるに決まってる。(英)    

第47回  『かたみ歌』  朱川 湊人 著

 都電が走る東京、下町。いつも『アカシアの雨がやむとき』のメロディが流れる、アーケード付商店街を舞台に綴られる連作短編集。本書は、前作『花まんま』で直木賞を受賞した朱川湊人の受賞後第一作になる。
 前作の『花まんま』もノスタルジックな作品だったけれども、まあやけに琴線に触れるなあと思っていたら、この人、昭和38年の大阪生まれ。なるほど同い年なら、過ごした年月を共有しているか。
 もともとこの人は、デビュー作の『フクロウ男』」を筆頭に、2003年には日本ホラー大賞を受賞したりして“ホラー作家”のイメージが強かった。
 やはり直木賞をとった『花まんま』も今回の作品も、いわゆる「怪異譚」である。用はそのさじ加減。怖さと不思議さ、哀調と滑稽。その微妙な味わいは絶妙のものがある。そして過ぎ去っていくものへの憧
憬。それは本書の中で随所に挿入される、昭和40年代の流行歌(これがまた、たまらなく懐かしいのだわ)つまり『かたみ歌』に託される。
 とくに本書に満ちているのは弱者に対する慈愛と共感。「人情」というほどべったりと濃くは無い、しかし、やっぱり人と繋がっていたい。(その感覚はいかにも昭和40年代チックなのだけれど)都市化の波に抗いながら、徐々に消え去っていく下町や商店街という名前の共同体。それは同時代を共有したものにとってはたまらなく懐かしく、また居心地のいい思い出だ。
 本書の狂言回しである、古本屋の主人が言う「面白いものですね、世の中というものは。日々誰かが去り、誰かがやってくる。時代も変わり、はやる歌も変わる。けれど人が感じる幸せは、むかしもい間も同じようなものばかりですよ」
 ほんとに、「今」も同じだろうか? 少し不安になってきたりもする。(英) 

第48回  『ロズウェルなんか知らない』  篠田 節子 著

 本書の舞台は、このまま行けば、2030年には人口がゼロになってしまう過疎の町、駒木野。唯一の収入源であったスキー場に撤退され、ゴルフ場の誘致にも失敗。確たる収入の当てもなくなり、住民が次々町を出て行く状況。そうした中、青年クラブの面々は、町の再活性化を目指す。
 頑迷な土地の老人や役場の課長。せっかく挙行した「大流星群観測ツアー」も設備がぼろぼろの民宿や、横柄な接客の老人たちのせいで大失敗に終わってしまう。ただ、そこで、ひょんなことから見出した、再活性化の妙案とは・・・はい、題名からピンときた鋭い人、正解です。〈UFO〉!
 元はといえば、カラオケ大会優勝の商品で貰ったあばら屋に住みついた「自称文筆業」のアイデア。UFO、ストーンサークル、巨大遺跡に思いつきで語られる、怪しげな伝承。そして挙行した「ミステリーツアー」が成功するや、彼らはどんどん悪乗りしていく。
 彼らの方策が当たり、若者たちの口コミから、とうとうマスメディアまで巻き込み、一大ブームが巻き起こる。久々の集客に沸く駒木野。あれだけ頑迷であった老人たちも、いつしか青年グループに協力し始め、何もかも上手くいきだすかと思われたが、虚構はいずれ剥がれる。やらせ報道が全国紙に掲載され、そこから一転バッシングの嵐。駒木野青年グループ町興しの運命やいかに。
 本来、「あはは、馬鹿なやつら」と笑い話になりそうだが、作者の作風のせいか、妙な説得力がある。何処かにこんなこと考え付きそうな奴がいそうだ、と思わせる。実際いるかもなぁ。
「ロズウェルなんか知らない」、UFOもオカルトも信じてなくたってブームは創れる。要はどんなくだらなく見えるものの中からでも価値観は見出せる。そういうことだ。いっぺん、脳内のゴミ箱をひっくり返してみたら、妙なニーズが作り出せるかもしれないね。(英) 

第49回  『おまえうまそうだな』  宮西 達也 著

 はじめまして。私、いつもこのコラムを書いている(英)の、家内でございます。今、うちの旦那は、なんだか「スランプだ」とか「もう間に合わん」だとかブツブツ言ったあげく、ビール飲んで沈没してしまっております。このまま放っておいてもよいとも思うのですが、うちのおバカ亭主が、非難されるのはよしとしても、編集長様にご迷惑をかけるのもいかがなものかと考え、筆を執った次第であります。
 とは申しますものの、私は、「バカ本マニア」の亭主と違います。すぐに紹介できる本もないかと、途方にくれていると、本箱の隅でこの本を見つけました。
 どう見てもうちのおバカ亭主には似つかわしくない絵本です。怪訝に思い、手にとって開いてみたのですが、あらあらこれがまあ、泣かせるじゃありませんか。
 おなかをすかせたティラノザウルスが迷子のアンキロザウルスの赤ちゃんを食べようとするのです。でもアンキロザウルスの赤ちゃんはティラノをお父さんと勘違いして抱きつきます。父性に目覚めてしまったティラノはアンキロの赤ちゃんを育てることになります。「おまえうまそうだな」とつぶやくティラノとそれを誤解するアンキロの赤ちゃん、で、くすっと笑いをとり、必死に子育てをするティラノにほのぼのし、それがゆえにラストページの切なさに、思わず涙ぐみます。
 何ゆえ、うちのおバカ亭主がこんな本を持っているのか?「恐竜大スキッ子」の息子に読み聞かせ、あるいはあげるつもりで自分が気に入っちゃたのか? まあ、こんな本を後生大事に持っているところを見ると、あれはあれで、足りないなりに「お父さん」でありたいらしいです。まあ、ちょっとだけ評価してあげようかな。
 お父さんの皆さん、まず自分で読んでみて下さい。そして子供に読んであげて下さい。一緒に感動してあげて下さいな。 (響)

 目が覚めたら、原稿が出来上がっていた。かなり事実に反しており、大変不満ではあるが、締め切りに間に合わないのでこのまま送ってしまおう。まあ、たまにはよかろう。 (英)

第50回  『青空の卵』  坂木 司 著

先月、不覚にも原稿をおとしかけて、嫁さんに代わって書いてもらったところ「今回はいつに無く出来がよい」だの、「いっそのことずっと嫁さんに書いてもらえ」だの、なかなかに失礼千万な感想をたくさん賜った。若干むかつきながらも、これはひょっとして楽できるのではないかしらん、ともう一度嫁さんに頼んでみたところ、「私は、あなたほど暇ではない」と一蹴された。(それじゃあ、俺はそんなに暇なのか?)仕方が無いので、また今月から「バカ本マニア」にお付き合いいただこう。
 今の世の中、子を持つ親にとってもっとも怖いものは「いじめ」ではないだろうか。私の息子も来年小学校に上がるのだが、新聞やニュースで「いじめ報道」を耳にするたびに、結構不安に思うのである。
 本書の主人公、鳥井は「引きこもり」である。原因は母親の不在と中学校時代のいじめ。
 
その彼の唯一の親友で、彼を支えることにのみ腐心する坂木が遭遇するさまざまな謎を、鳥井が鮮やかに解決する、と書けば、最近流行の「日常はミステリ」ということになるのだが、本書は少し異色だ。探偵役が引きこもりなのをはじめ、登場人物の大半が、「他人とのコミュニケートに苦労する人物」なのだ。女性、身障者、老人、外国人。コミュニケートの齟齬が謎を形成し事件となる。それを、狂言回しであり、実は影の主人公でもある坂木が背負い込むことになる。この坂木という人物が、まあ本当に純粋な人物なのだ。
 本書の真の主張は、探偵役の謎の解決にあるのではない。それを知り、悲しみ、怒り、感動する坂木のほうにある。
 人に優しくしてあげよう。困っている人には、声をかけよう。そうして人の輪を広げていこう。偽善的というなかれ。「生きていく上での幸福は、誰かとわかちあう記憶の豊かさにある」まったくよい言葉である。
 まず、私から、次にあなたから。一歩踏みみ出す勇気を持ちたい。「美しい国」ってのは、そうやって作り上げるものではありますまいか。(英)