最近読んだ本について、気ままに書いてみました。

回 数 作 品 名 著 者 出 版 社 定 価 掲 載 号
第51回  あの戦争は何だったのか    保坂 正康   新潮新書       756円  2007.2(No237)
第52回  超能力番組を10倍楽しむ本   山本 弘  楽工社  1,700円  2007.4(No239)
第53回  枯葉色グッドバイ   樋口 有介  文春文庫    752円  2007.5(No240)
第54回  正義のミカタ  本田 孝好   双葉社  1,500円  2007.7(No241) 
第55回  「世界征服」は可能か?   岡田 斗司夫  ちくまプリマー新書    760円    2007.8(No242) 
第56回  旧怪談  京極 夏彦  メディアファクトリー    952円   2007.9(No243) 
第57回  昭和20年11月23日のプレイボール  鈴木 明  光人社  2,000円   2007.11(No244) 
第58回  クドリャフカの順番     米澤 穂信  角川書店    1,600円  2008.1(No245)
第59回  鹿男あおによし     万城目 学  幻冬舎   1,500円    2008.2(No246)
第60回  愚者の道  中村 うさぎ  角川文庫     483円  2008.4(No247)

 第51回  『あの戦争は何だったのか』 保坂 正康 著

安倍首相が誕生し、とうとうこの国のリーダーが、われわれと同じ戦争を知らない世代となった。それでふと思うのだが、僕らの年代で、どれほどの人間が、先の戦争(太平洋でも大東亜でもどっちでもいいけどさあ)について知っているのだろう。「ええ、日本とアメリカって戦争したんですかあ」なんてのは、論外としても、悲惨だったとか、誤っていた、とかは教えられても、それを歴史のパートとして、どういうメカニズムで引き起こされ、背景にどういう行動原理があったのか、誰も知らないままだ。
 本書の内容どおりであったとすると、当時の日本の戦争指導者は、根拠のない楽観主義と、精神主義から開戦を決意し、確固たる戦略もなく飲み込まれていく。要するに、どうなれば、自分たちの勝ちだ、という戦略思想がない。そして、始めた戦争の終わらせ方もわからず、自己陶酔と熱狂のなか、破滅へと進んでいく。
 
まあ、本書の内容すべてが事実とは思わないし、まあ、細かい事実誤認や、まずい表現はあるみたい。ただ「あの戦争」を通じて、日本人の「熱狂しやすい体質」というのには首肯してしまう。そう「○○をぶっ壊す」といって出てきた、あの人に対する熱狂振りがだぶるのだ。いつの間にか、「YES」か「NO」かに決め付けられた、、あのときを思い出す。そしてそれから世の中、良くなっただろうか。 流されずに考えよう。興味がないかもしれない。嫌いな人もいるだろう。でも、この国が今何を望み、どこへ行こうとしているか。せめて知っていたほうがよい。(英)

 第52回  『超能力番組を10倍楽しむ本』 山本 弘 著

「あるある大事典」の捏造報道という騒ぎがあって大分経ったけれど、ひとつ感想を言わせていただくと「ええー、みんなそんなにテレビでやっていること信用していたの?」である。しかし、私のように世の中を斜に構えて見ている人ばかりではないので、確かに健康番組を含むバラエティー番組の内容を妄信してしまう人は、結構多いのだろう。
 というわけで、今回ご紹介の本書は「超能力番組」例証として、テレビの番組の疑わしさをたっぷりと暴露している。いわく、「ナレーション、テロップに惑わされるな」「テレビにはすべてが映っているわけではないことを忘れるな」等である。
 「たかがバラエティー番組。面白けりゃ、少々うそや捏造があってもいい」と思う人もいるだろう。実際、「そんなことで目くじらを立てられたら、面白い番組など作れない」と居直るディレクターもいるらしい。しかし、こ
れはやはり問題だろう。なぜならバラエティーであれ、報道であれ、かれら、テレビというものは一方的に情報を与えるメディアであるからだ。
 ダイエットや、予言や占いならまだいい。もし与えられる情報の中に少しづつ「歪み」が入っていたら、我々はそれを見抜き、指摘することができるだろうか。もちろん、業界の「下請けの下請けが実際の番組を作るシステム」や成果絶対主義(テレビの場合は視聴率)も問題だろう。しかしまあ、テレビというものが、こうである限りは、少し疑いながら付き合ったほうが良いかもしれない
 テレビという媒体を最もうまく使ったものに、オウム真理経と先の首相がいる。忘れるべきではない。(英)

第53回  『枯葉色グッドバイ』      樋口 有介 著

 なんだか、最近このコーナーが「妙に説教臭い」とご批判をいただいた。まあ、確かにそうかもしれない。説教臭いのは、こちらが年をくったせいだろう。「確かにあんまり面白くはないだろうなぁ」と、殊勝な気持ちになって少し反省をした。
 というわけで、今回は久々のエンターテイメントをご紹介。
 作者の樋口有介は、サントリーミステリー大賞・読者賞を受賞したデビュー作『ぼくと、ぼくらの夏』以来、少年を主人公とする、「叙情派ミステリ」で人気を博する。特に、アメリカンハードボイルドの手法を取り入れた独特の会話、「軽口&減らず口のたぐい」の応酬は、彼の作品の大きな魅力である。
 本書では、女子中学生を含む一家惨殺事件の謎を、美人刑事と先輩の元刑事が追う。しかも月並みな設定だが、その元刑事が現在はなんとホームレス! 女性刑事から日当二千円で雇われて事件を推理するというから情けな
いというかなんというか。このコンビに、惨殺された一家でただ一人の生き残りであるチョイ不良少女と、その友人の殺人事件が絡み、話はどんどん複雑化。追い討ちをかけるように少女の出生に絡む秘密だとか、惨殺一家の幸福そうな顔の裏側だとか、少し重苦しい謎も浮かんでくる。終盤、飄飄としていたホームレス探偵が息を吹き返し、たたみこむように事件を解決へと導く。その意外なまでも論理的な帰結と、最後に加わるもう一ひねりは、久々に「ミステリ的カタルシス」を堪能させてくれた。
 「誰もがなりたくないと思い、それでいて誰もがなれてしまう。そこがホームレスの面倒なところだな」しかり、名言である。
なんか、今回は正統派の作品紹介になっちゃいましたね。(英)

第54回  『正義のミカタ』      本田 孝好 著

 ものごごろがついて以後、ヒーローは常に「正義の味方」だった。「正義」こそ、この世で一番大事なもの。そしてそれを守ることは、最も崇高な行為だと信じてきた。
 本書の主人公はいじめられっこ。学校でいじめられ、家庭では妹にバカにされ、それでもそんな自分を変えようと、必死で努力して三流大学に合格する。ところが、なんと偶然にも、そのキャンパスで高校時代のいじめっ子に遭遇する。彼もその大学に入学していたのだ。絶体絶命の主人公を救ったのは、一人のクラスメート。そして彼は変なクラブに勧誘される。その名も「正義の味方研究部」。いや、別にウルトラマンや仮面ライダーを研究するわけじゃない、実際に学内の正義を守るという部なのだ。
 その理念は確かに崇高で、活動は格好いい。いくつかのトラブルを解決していくうちにいじめられっこだった主人公は、己を変えキャンパスライフを満喫できるようにな
る。あることに気づくまでは。
 
世の中は不公平に満ちている。それは否定の仕様もないだろう、おそらく。一人一人に個性がある以上、完全な公平など存在しない。正義は守られねばならない。だが、この価値観すら多様に錯綜する世の中で、力によって守らねばならない正義とはいったい誰の正義だろう。そしてその力の発動は、いったい誰の権利を持って行われるのか。
 まあ、解答など出せないと思うのだが、ただひとつ「正義を語る者は、己の憎しみをよりどころにしてはいけない」。そう思う。
 これからもきっと、ヒーローは「正義の味方」だろう。しかしまあ、これから先はウルトラマンも仮面ライダーも、ちょっとばかり住みにくい世の中になるかもしれないね。(英)

第55回  『世界征服は可能か?』      岡田 斗司夫 著

 いや、先月号が「正義のミカタ」だったから、今月が「悪の秘密結社」というわけでもないのだが・・・。今回の作者は、平成の「オタキング」こと岡田斗司夫。「世界征服」の立案から社会的実践まで方法論を大真面目に論じた本である。
 バカバカしいというなかれ。ショッカー、死ね死ね団からヒトラー、アレキサンダー大王、はたまた金○日まで偉大なる先人(?)の例を検証しつつ、支配者のスタイルを4つに分類。それぞれの問題点を指摘しながらその改善策を提示。そして、それを踏み台に、世界征服のための、目的の確定、組織の人材確保、資金調達、備投資、作戦と武装、部下の管理などノウハウを探り出し現実的、具体的方法論を探り出していく。
 ただ、この作者、相当したたかだ。前半で特撮ヒーロー物やアニメの悪役を論じながら、後半はがらりとその主張を変えてくる。前半の「お笑い」部分を踏まえて、「悪」とは何か、「支配」とは何か、を定義しようとする。そしてそれを現代社会にはめ込むことにより、浮き彫りになる結論にはあっといわされる。結局のところ彼の主張とは、アメリカによるグローバルスタンダードなる物と、それに追随しようとする、格差社会に対する、「オタク的」批判なのだ。
 しかしよくできている。本書の中盤は、立派なリーダー論や危機管理論となりうるし、最終章にいたっては立派な現代経済論であり、階層社会論となっている。
 詳しくはぜひ本書を一読願いたいのだが、現代における世界征服がそういう結論なら、明日から僕もちょっくら世界征服を企んでみるかな。(英)

第56回  『旧怪談(ふるかいだん)』      京極 夏彦 著

 うげえ、しまった! 本業(?)の会計の決算でどたばたしているうちに、締め切りを過ぎているではないか! どないしよう。
 というわけで編集長に平謝りして、締め切りを伸ばしてもらい、何とか事なきを得たのだが、カレンダーの日付見た瞬間、背筋に寒気が走りましたなぁ。
 で、まあ「背筋に寒気」というと、時節柄やっぱ怪談ですかね?(なんて、強引な導入部だ)少し前に映像化もされ、話題を集めた怪談集に『新耳袋』というシリーズがある。(この連載で取り上げたこともあるけどね)もともとこれは、江戸時代の旗本、根岸鎭衞の書いた、『耳嚢(みみぶくろ)』という、人伝に聞いた奇妙な話や噂話を書き溜めた本を手本に、人から聞いた「体験談」を集めた怪談集である。
 で、今回ご紹介は、その元ネタ『耳嚢』の現代語訳版。
 とはいえ、著者は当代きってのベストセラーメーカー京極夏彦なので、一筋縄にいくわけもなく、単なる現代語訳に終わらない。今度は逆に『新耳袋』の中身をなぞるように、文章だけでなく、語り口調から、シチュエーション、人間関係にいたるまで、すべて現代版に移し変えてある。各エピソードの後に原文も併載してあるのだが、「良くぞここまで」とほとほと感心する。
 
『新耳袋』も含めて、このシリーズは、淡々とした語り口調で「恐怖の強要」はないのだが、適度な「怖さ」は快感だ。
 で、毎年のことながら、「怪談」の原稿を書くと調子が悪くなる。今も左肩が重くて、痛くて、あがらない。「何か、憑いてるのか?」とつぶやいたら、横で嫁が「そりゃ五十肩だわ!」

 ああ、背筋に冷たいものがあ~。 (英)

第57回  昭和20年11月23日の プレイボール』      鈴木 明 著

過日のソフトボール大会の折、編集長から「次の締め切りは、月末だからね、分かってるね!」と釘を刺されたのだが、私は尊敬する筒井康隆先生が書いていた「作家たるもの締め切り前に仕事をしてはいけない」という教えを忠実に守ることにしているため、今月も・・・あぁぁ、嘘です。そんなことは毛の先ほども考えていません! もう絶対遅れません。だから打ち切らないで!
 と、まあそのソフトボール大会の影響で動かなくなった身体と戦いながら、また、ここのところの日米の「頂上決戦(わがタイガースはあかんかったけどね)」の報道を読むにつけ思うのであります。「やっぱり野球は楽しい」と。
 当然、野球よりサッカーやプロレスやセパタクロウ(?)の方がいいという人も多かろう。が、この国で最も長く愛されてきた球技は、やっぱり野球だろう。今月ご紹介する本は、戦後、焼け野原の日本で「職業野球」復活の第1戦に尽力した人たちの記録である。
 戦争による窮乏と徴兵により、解体されていくプロ野球。敗戦後、明日をも知れぬ毎日の中、懸命にプロ野球再建に奔走する人々と、それに呼応し、全国から神宮球場に集まる「往年の名選手たち」。彼らは如何にして戦火を潜り抜け、生き延びたのか。そして不幸にも帰ってこられなかった選手たち。国籍もチームも超え、「とにかくもう一度野球を」の想いから、こぎつけ、開かれた「東西対抗戦」。
 この試合には公式記録も一枚の写真も残されていない。一冊のスコアブックと数枚のメモ帳。そして、参加した34人の選手たちと、観客たちの記憶にのみ留められている。そこから、史上最高の天才打者、大下 弘が生まれることとなる。
 「プレイボール!」日本のプロ野球が復活した。そして今、3人の日本人選手がワールド・シリーズで戦っている。(英)

第58回  クドリャフカの順番』      米澤 穂信 著

どうにも間の悪い時ってのはあるよね。ついこの間までは、どこの本屋にでもあったのに、いざ手に入れようとするとどこにもない。見つからないとなると、意地になるのが悪い癖。ようやく六軒目で手に入れることができました。ああ、めでたしめでたし。(編集部注、そんな時は組合HPからさっさと注文して下さい!)
 本書はとある、あまり都会とはいえない小さな町のごく普通の高校の、訳の分からない弱小文化部が舞台って、なんか読んだことがある・・・、という熱心な読者さんありがとう。これは第8回で紹介した『氷菓』の続編になる。だから欲しかったンだよね。(編集部注、『氷菓』はこのコーナーの第8回で紹介)
 今回は、「省エネ学生生活」をモットーとする主人公と「好奇心の亡者」の女子学生からなる「古典部」が学園祭を舞台に起こすひと騒動。久々に学生時代を思い返し、懐かしい気分に浸れたのだが、この作品の本当のテーマ、実は「手に入らないもの」。
 世の中、どんなに努力したって、手には入らないものがあるよね。何物にも変えがたい、しかし誰もが持ちうるものではない。何としても欲しいのだが、自分にはそれが無い。手に入れる事ができない。それを思い知ったときの苦い諦念と、「持っている者」への羨望と期待。そう、この僕も20年ほど前、「クドリャフカの順番」を痛い思いをして受け取ったクチなのだ。
 何の話だって? だからね、欲しい本はなくなる前に買いましょうって・・・。
 えっ、そういうレベルの話なのかっ?(英)

第59回   『鹿男あおによし』      万城目 学 著

あああ、お馬鹿な本だと思っていたら、ベストセラーになるは、ドラマ化されるはで、あんまり紹介する甲斐が無いなあと思ったのだけれどねえ。冒頭にも書いたけれど、これだけお馬鹿な本(誉め言葉です)を引いたのも久々なので、今回はこれで行こう!
 主人公は東京のとある大学の研究員。研究室内の人間関係のトラブルから、少し大学を休んでみたらと女子高の常勤講師の職を紹介される。その赴任地が、『奈良』。まあ当然というか、奈良と言えば鹿。主人公はある日、いきなり鹿に話しかけられる。曰く、「先生は神宝の『運び番』に選ばれた。ついては京都の狐の使い番から神宝を受け取って来い」。最初、信用しないと顔を鹿化され、むりやりやらされる羽目に。けれども、神宝がどんなものかも教えてもらえず、『三角』という手がかりだけで悪戦苦闘する先生。あげくの果てには「神無月の間に手に入れなければ日本が滅ぶよ」などといわれる始末。さあ先生、神無月の間に『三角』を手に入れ、日本を救い、人間の顔を取り戻せるか? 顧問になった弱小剣道部の運命やいかに?
 しかしまあこの本、「奈良には鹿と大仏しかいない」だの、「奈良市民は外出するときは、マイ鹿に乗る」だの、僕が奈良の某ブロック長をからかうときのネタが満載なのだ。『坊ちゃん』のパロディ的なところや、中盤の青春学園もの風のところなど、バカバカしい設定の上に物語を組み立てる手腕はなかなか見事である。
 デビュー作『鴨川ホルモー』では京都が散々からかわれていたので、別段、奈良に遺恨があるわけでもないらしい。奈良県民の方々、心は広く持ちましょう。(英)



第60回   『愚者の道』      中村 うさぎ 著

諸君は中村うさぎという女性作家をご存知であろうか。ファンタジーを中心とするライトノヴェルでデビュー。それがあるときから「買い物依存症」なる病に取り付かれ、破産寸前までブランド品を買いあさるという壮絶な浪費生活を送るのだが、変なものでその浪費振りを自虐的に笑い飛ばしたエッセイシリーズで一気に注目を集める。その後「買い物依存症」からは抜け出したものの、今度はホストに入れ込み、さらには整形美容を経て風俗嬢に本気でなったりする。とにかく突拍子も無いことをやり、しかもそれを自分自身で笑い飛ばす。私も読みながら「おそらくはネタであろう」すなわち作家自身がうけるために、半ばわざと行っているのだろうと感じていた。
 その中村が本書では初めて自分自身の内面に本気で踏み込んでいく。過去の買い物依存に、ホストに、彼女は何を求めていたのか。何をなさんとしていたのか。
 結果的に、中村の異常ともいえる行動の原理は、「自分が何者であるか?」の定義なのだ。他人からどの様に見られるか。また他人にどう評価されるかで自分を確立しようとした。彼女の行動はその定義に関しての、やや子供っぽい発露である。そして彼女は、生きていく中で、最も必要なものは、他者からの「信頼と赦し」であると結論付ける。他者を「赦す」ことで初めて、他者を「受け入れることができる」。そこに生まれるのが本当の信頼関係である。
 「自分が何者であるか?」人間として生まれた以上、本来誰もが持つ疑問だ。しかし過剰な「自分探し」は破滅につながる。私自身突き詰めてみたいとも思う。だがその勇気は持てない。だからこそ、ここまで突き詰めた本書は、少し心を惑わせる。
 そして、「信頼と赦し」の無いパートナーシップは、幸福を呼ばないだろう。(英)